無重力の海で

日記とか絵の制作過程とか好きな歌詞を乗せたり好きな動画紹介したりするだけのブログ。

今日は昔話でも。【今日はいつも以上に長いww】

どうもこんにちは、めっこりです。
今日は気分転換に昔話でもしようと思います。
自分のことばっかりで面白味もないブログですがまぁ許してください。
いつも通りの一人よがりな場所なので。
そしてあくまでもこれは私自身がこう思ってるーってだけなので
それは違うんじゃないか?と思ってもそこはしょうがないかと見逃してやってください。

まず昔話をしようと思ったきっかけは昨日借りてきた
夜回り先生こころの授業』という水谷修さんの作品を読んでいて思い出したことがあったからです。
本書の項目の中で『心を語る目』という話がありますが
その中では今の子供たちの目は輝きを失い、希望などを失っているということ。
そしてそれを育てる周りの大人たちも病んでいて
目を輝かせて夢を語る事が出来る大人がどれだけいるかと言うこと。
(何か大雑把に書いてるので内容誤解されそうだな><; 本書をよければ読んでみてください!)

子供たちが目を輝かせる方法はとても簡単なことで、まずは褒めてあげることと書いてありました。
周りの大人たちが子供の良い所をいっぱいみつけて、褒めてあげる。
そして明日の夢を一緒になって考える。
その前提として大人自身が明日への夢や希望に目を輝かせて語れることが挙げられています。
これを読んでいて、思い出したのが自分の過去です。

私が今、絵を描くきっかけとなっているのは周りの人が私の絵を褒めてくれたからです。
一番初めは保育園で絵を描く時間がありました。
その時に書いた絵を見て先生が「(本名)ちゃんは絵が上手ねぇ~」と言ってくれたのです。
先生は何気なく、お世辞で言ってくれたのかもしれません。
でも私にとっては描いた絵を褒めてもらえたことが凄く嬉しくて、それから絵を描くようになりました。
同じ保育園の子にも褒めてもらえて、親にも褒めてもらえて
私は絵を描くことで褒めてもらえるんだと思い、ずっと描いては人に見せていました。
今になって思うと、あんな絵を良く見せられたなーと思ってしまいましたが
それが今の私に繋がっているんだと思うと、すごく大切な思い出です。

こうやって私の周りは幸運にも良い人ばかりで、特に大人たちには恵まれていました。
(中学の頃の生徒?何それ死んでるんじゃない?)
理不尽に、頭ごなしに怒鳴りつける人は一人もおらず、いつも私に非があるということを
分からせてくれる、良い人ばかりでした。
元友人の親に怒られたこともあり、その時も申し訳ない気持ちになりました。

最近になって他の家の親に怒られることがあると言うことに対して
腹が立つだとか、不満を漏らしている人たちがいるけど、それを聴いたりするたびに
自分がどれだけ幸せなのか分からないのかなと思いました。
だって、人の家の子供でその子がどうでもいいという対象なら自分の家の子だけを叱ると思う。
叱ってくれるのは気にかけて貰えてるから。気にもかけてなかったら何も言わないでしょうし。
それが叱りつけるじゃなくて、怒鳴りつけるだったら別でしょうけども。

必要以上に甘やかすと何をしても怒られない、自分は何をしても許されるんだと思って
犯罪を起こしてもそれが悪いという自覚を持たなくなると思う。
子供を大切に思うのと、甘やかすのは別だよ。
モンスターペアレントとかをテレビで見ていると頭が痛くなるよ。
自分の子供に非があるのにそれを教師が叱れば教師に問題があるという。
それはおかしいんじゃないか?
教師は子供が成長する過程を手助けする立場であり
間違った方へ進もうとするのを止めてくれる大切な人たちだと思う。

もし子供が遊び半分ではさみとかを振り回したり、人を傷つけようとしたとする。
(最近なら普通にありえそうでちょっと怖いわ)
そしたら、教師はそんな事をしたらいけないと止めて、その理由をしっかり話す。
その事を子供が親に叱られた、と言ったら
親は「そっか、じゃあ今度からはしないようにしようね」と言うのがだいたい普通だと思う。
でもそこで「なんでうちの子が怒られなきゃいけないの!?」とかいう風になる人がいるとしたら
それはその人の今まで育ってきた環境がどうなっていたのかを疑わなくちゃいけなくなると思う。

もしかしたら今まで厳しい育てられ方してて、虐待されてたから自分の子にはそんな風にしない!
とかそういう理由で必要以上に甘やかしてしまって、気付けばモンスターペアレントレベルにまで
なってたとかあるのかもしれない。
私はそんな風になってしまったわけではないし、私の周りにもそんな風な人は見かけないから
テレビとか、本とかでしか情報を得ていないけれど、それでもどんな理由であれ
人は傷つかずに生きることなんてまずできないし
多少の事でも耐えれるようになっておかなきゃいけないと思う。

私自身もいじめられたことがあるし、その時エスカレートする前に学校行かなくなったから
まだよかったんだけど、本当に辛かった。
学校に行ってないのにことあるごとに学校であった嫌な事がフラッシュバックしたりするし
いじめてくる方も嫌なら関わってこなきゃいいのに、関わってくる。わざわざ自分から。
気持ち悪いと思うなら近づかなきゃいいでしょ。
俺だってお前のこと気持ち悪くて仕方ないよ。近づきたくないよ。とか
そんな事思ってましたよ。まぁ、今でも多少思ってるんですけどね。
で、そんな状態だったけど親には高校に行かなきゃ仕事に就けないよ、と言われ
親には迷惑かけたくなかったので中三の頃にようやく学校代わりの場所へ通い始め
そこで必要な勉強を教えてもらいました。

学校は正直どこでもいいし、先生は美術部とかそれらが有名な学校はどうだろう?と
行ってくれたけど、私自身はそんな学力ないし、入れればいいや。と思ってて
結局少し遠いけど、お兄ちゃんが通ってた学校へ入学しました。
それから学校へ通って、同じ中学の奴で同じクラスだった奴がいて(特に一番嫌いだった奴が一人いた)
まぁ、たった3年の辛抱だ、と覚悟を決めて頑張りましたよ。
未だに嫌いな奴は嫌いです。友人からは嫌いな人を少しでも好きになるよう努力して
ストレス減らした方が良くない?的な事を言われましたがいくら探しても私的には見つかりませんでしたよ。

まず声が無駄にでかい。生活するうえでそんな無駄に声あげなくても普通に聞こえるわ。
耳の聞こえない人相手に話してるの?っていうくらい無駄に声がでかい。
そして個人的にその声がすごく嫌い。これは好みの問題。
次になんかずっときょろきょろしてる。なんなの挙動不審なの。
挙動不審な人ほど見てるの好きじゃないよ。私は同族嫌悪するから。
そんな声張り上げてしゃべるくらいならもっと自信持って前だけ向けよ。
…と言った感じでイライラする所がいくらでも出てくるのでキリがない。
良い所?とか考えてると嫌なところしか見つからないんですね。
ここで私の心の狭さが改めて実感されます。

でも二年時からはわざとクラスが別になるように移動しまして
何とか会う回数は自然と減ったかのように思われたんですよ。
でもね、うちのクラスの人がそいつが面白いのかなんか知らないけど呼ぶんですよ。
自分で行けよ。とか思ったんですけど。だってクラス向こうの方が階段とかに近いんだから。
授業中もなんか意味の分からない事してるしね。
そんな私からしてみれば良く分からない行動に苛々しながら極力近づかず
視界内に入れない方針で我慢してましたよ。
ただ友人には愚痴りまくって申し訳なかったですが。

とまあ、いろいろありましたが、今私は元気ですよ。意外と。
精神的には喜怒哀楽、一喜一憂がコロコロ変わりまくってめんどくさいんですけどね!!!^q^
話はめちゃくちゃそれまくりましたが、何が言いたいかと言うと
結局いつかは傷つくし、傷つけちゃうこともあると思うのでその時にしっかりした対応が
出来るように親は甘やかしすぎないで
子は自分のしたことの反省をできるようになっておくみたいな事を言いたかったんだと思います。
多分。書いてる途中でめちゃくちゃ脱線しちゃったから話忘れちゃった☆
いけないね、脱線しちゃうのは私の癖だわ。悪い所だ。
まずは自分の伝えたいことを先に伝えておかなきゃいけないと思いました。Oh...
久しぶりに更新した気がするけど相変わらず一つの記事がなっがいなっがいwwww^q^
ではでは、今回はこの辺で。