無重力の海で

日記とか絵の制作過程とか好きな歌詞を乗せたり好きな動画紹介したりするだけのブログ。

帰って来た時に出迎えてくれる幻を見る

うちのクロちゃんね、帰って来た時、車の音で私が帰って来たのわかるのか
いっつも家の近くで待機して車から降りたら近付いてきて
一緒に玄関まで歩いてたんだ
その幻覚が見えた気がして、まだひょこっと現れていつもみたいに
一緒に玄関までついてきてくれてるんじゃないかって気がして
玄関の所までいってもやっぱり姿が見えなくて辛かった
家に帰るのがこんなに辛いだなんて思わなかった
仕事してる時は全然大丈夫だったのに、家が見えてきてから
全部辛くなってきた
この家の至る所にクロちゃんがいた記憶が残ってて
何処を見ても悲しくなるし、またいつもみたいにでてくるんじゃないかって
期待しちゃって苦しい
お父さんもおれと同じだねって言ってたの
死体を見たのに死んじゃったことが受け入れられない
お母さんがおじいちゃんが死んだ時に「まだお父さんがいる気がして声をかけてしまう」
と言ってた事を思い出して私もそんな感じになってるんだと思う
私が父方のおじいちゃんおばあちゃんが死んだ時はまだ中学生くらいだったのもあったし
クロほど自分がお世話をしたり介護を手伝ったりしてなかったからなのか
すんなりと死を受け入れてしまった
なんとも祖父母に対して不孝者だけれども、お父さんよりも先に
こんなに死を受け入れがたい存在が出来ると思ってなかったからつらい
受け入れられるのはまだまだ先になるんだろうかなぁ
まだ想い出には出来ないししたくないし
思い続けられる限り思い続けていたいけどそれはそれでしんどいし
でも想い出にしたらきっとすぐ忘れちゃうんだろうな
私忘れやすいから、小学生の頃亡くなったおじいちゃんの声とかが思い出せない
人は声から忘れていくっていうけど声が一番記憶にも残りやすいとはおもう
嫌いな人の顔や名前は忘れても傷つく言葉を言われた時の声は絶対に忘れられない
つらい
車を運転してる時も、ふとした時にクロの事を思い出してつらくなる
私が親のように接していたから余計に辛いんだろうってお父さんがいってたけど
それなら子どもを失くした親は私の比じゃないくらい気が狂いそうなんだろうな
自分がお腹を痛めて産んだ子やすごく愛情を注いで育てた子なら尚更
もしそんな想いするくらいならいらないよって思っちゃうけど
それでもその愛情を注いで過ごした時間はすごく大事な人生の一部になるんだろうな
でも耐えきれない人は罪を犯したり人生を終えてしまうんだろうな
私は行動力と決断力さえあれば多分もう死んでた
一番落ち着く家が一番心を抉ってくるしこうやってブログ書いてる時間も心がきつい
怠惰でよかったのかもしれない
怠惰だから私が今生きられてるのかもしれない
私ごときに価値があるかなんて知らないけど
少なくともお父さんとお母さんにとっては価値があったのだと思いたい
クロちゃん帰ってこないかなぁなんて思うけどありえないんだよなぁ
くるしい
もっともっと大切な家族なら写真撮っておけばよかった
高くてもいいカメラ買って綺麗な写真たくさん撮っておけばよかった
なれない携帯でぶれまくった写真しかないや
自分の趣味なんかにお金を費やすばかりでくずみたいだ
記憶全部描き出せたらいいのに
私の技量じゃ全然足りない
可愛かった仕草も少し困った部分も全部全部描ききれない
くやしいしくるしい
ペットロスをたかがペットが死んだだけでっていうやつは苦しんで死ね